2021年06月07日

第2次大戦、A級戦犯の東条英機ら7人の遺骨、太平洋に散骨されていた。

第2次大戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人の遺骨について、米軍将校が「太平洋の上空から私がまいた」と記した公文書が、6日までに見つかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/da4098c1709252edba67716f37bd274f3a161a84
(6/7 ヤフーニュース、共同通信)

米軍による具体的なA級戦犯の遺骨処理の方法が公文書で判明するのは初。
遺骨は遺族に返還されず、太平洋や東京湾にまかれたとの臆測はあったが、行方は昭和史の謎だった。

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東条英機らA級戦犯の教(きょう)誨(かい)師を務めた僧侶、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、下京区)僧侶で東大教授だった故花山信勝氏は46~49年まで、東京にあった巣鴨プリズンで宗教者として戦犯に仏教を説き面接する教誨師を務めた。
A級戦犯の絞首刑に立ち会った唯一の日本人だった。

東条が戦犯として逮捕される直前、拳銃自殺を図り命を取り留めた経緯について花山氏は真意を尋ねている。
東条は「自分が作った戦陣訓の中で軍人は敵の捕虜になってはならん。潔く自決せよと教えた。それを実行したまで」と語ったという。

48年12月21日午後9時過ぎ「23日午前0時過ぎから刑を執行する」との宣告が行われた。
22日深夜。手錠を掛けられた7人は土肥原賢二、松井石根、東条英機、武藤章の1組目と、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎の2組目に分かれて順に絶筆の署名を行った。さらに南無阿弥陀仏と唱え、「天皇陛下万歳と大日本帝国万歳」の万歳三唱を行い、それぞれ刑場に向かった。
1組目の刑執行は23日午前0時1分、2組目は同20分だった。
以上。

posted by ラッキープール at 10:16| Comment(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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