「EQ」とは「自分や人の感情を理解し、共感し、人間関係を構築する力」を意味しますが、欧米ではこの「IQ vs. EQ」の議論が盛んで研究が進んでいます。
https://toyokeizai.net/articles/-/441373
(7/17 東洋経済オンライン)
東京都に緊急事態宣言発出の中、五輪の開幕は迫り、海外からはどんどんと人が流入し、日本人のモヤモヤ感、イライラ感は膨らむばかり。
そんな中、先日の西村経済再生担当大臣の「酒類提供停止に応じない飲食店に対する『取引金融機関から遵守働きかけ』『卸業者への取引停止要請』」発言は、まさに火に油を注ぐように容赦なく国民や飲食関係者に「燃料投下」、大いに非難を浴びました。
西村大臣といえば、「灘高→東大→官僚→国会議員」というピカピカのエリートですから、IQの高さはお墨付きです。
ただ、どうも話し方に血が通っていない。「『人の痛みや苦しみ』に鈍感なのでは……」という印象を受けてしまう気が。
人としての「温かみ」に欠けるこういうタイプは、「上下関係で物事を判断し、上にはおもねるが、下は人扱いしない」というところがあり、西村氏も周囲の職員が何人も辞める「パワハラ体質」だったという話も漏れ聞こえてきます。
話しを戻します。
政治への不信感が強い近年、海外の政治家は、堅苦しく冷たい印象の「プロの政治家」というイメージを払拭し、「Just like us(私たちと同じ)」という庶民的で等身大のイメージ醸成する方向にシフトしています。
「親しみやすさ」と「人気」は極めて強い相関関係があります。現代の政治家にとっては、市民に寄り添い、「あなたの気持ち、よくわかりますよ」と強い「共感力」を見せていくことが不可欠だということなのです。
今、世界の民主主義国では求められるリーダー像が、トップダウンで一方的に指示する「教官型」から、寄り添い、励ます「共感型」へと変わってきていますが、日本の政界や経済界ではまだ、そのパラダイムシフト、思考の転換ができていないようです。
菅首相がその典型的な例です。

この国の政治家の「上から目線感」「『俺たちは上級国民』臭」は目に余るものがあります。
その典型が麻生財務相です。

多くの先進国では、「コミュニケーションのプロ」が政治家をサポートし、「どういう物言いで」「どういった形で」伝えれば国民の納得が得られるのかを分析しています。そうやって緻密に戦略化すると同時に、政治家自身も、弁論や演説のプロであるのが当たり前。
しかし、日本には、そうした専門家はほとんどいませんし、政治家自身がコミュニケーションに関しては、まったくのアマチュアです。
欧米の政治家より日本人の政治家が劣る「3つのポイント」
1,「視線のずれ」
コミュニケーションにおいて最も大切なのは、徹底した「相手目線」。自分の言いたいことをただ言いっぱなしでは相手の理解も共感も得られません。
「聞き手の気持ちを慮り、その立場に立ってモノを言う」。それが、コロナ禍で支持を集める世界のリーダーの共通項なわけです。
2,「抽象的」で「何の絵も浮かばない」言葉
安倍氏が使ったような、「感動」や「絆」、菅首相の「安心・安全」といった抽象語は人の心を1ミクロンも動かしません。
3,「なぜか」がない
「なぜ、緊急事態宣言が必要か」「なぜ、オリンピックを開くのか」。今、われわれの頭の中には数多くのクエスションマークが渦巻いていますが、何ひとつ満足のいく回答が得られていません。
国民の信頼を得られていると思う政治家、自民党にいますか?
野党を含めた政治家全体でも数えるほどしかいないと思います。
秋の衆院選では知名度に拘らず、直接その人の人柄や政治家として目指すもの、難しいですがそういった個人の人間力とでも言うべきものを見抜いて投票する必要があります。
それがこの先の、まさしく「安心・安全」の国政につながっていくのではないでしょうか。